大阪関西万博2025に行ってきました!
5月23日、大阪関西万博に、私と両親の3人で行ってきました〜!
当日は、開幕日を含めて最多入場者数を更新していた日だったそうで…。GW明けで祝日を避ければ大丈夫でしょ、という楽観的な予想が大ハズレ! 流石に当日会場でそんなことなどつゆ知らず、「聞いてた話と違ってあらゆる場所が混んでるな……セブンイレブンですら入場制限してるぞ!?」とビビりながら、事前の下調べなんて役に立たないもんだな〜わはは、と笑ってました。
万博で楽しむために必要な心得
私の感想の前に、実際に行ってわかった万博必勝術!
- 大目標は1個か2個に絞る! それを達成した時点で成功と思おう。
- 残りは会場でのハプニングを楽しむ! これが鉄則。
ちょうど私が行く直前に「万博で損したくない」というnoteがバズってましたが、まさにそれでした。
絶対損したくない万博に疲れすぎて、すべてを諦めてからが始まりだった(万博走り書き①)|岸田奈美|NamiKishida
ありとあらゆる情報が目まぐるしく変わり、昨日の穴場が今日の大人気に。効率化のコツはあっという間に非効率に。記載されていたイベントは直前で中止で終わったり、一方特に何も書かれていなかったけどパビリオンの前で突然始まったり!
朝8時から夜6時までいましたが、予定通り進められたのは事前予約できたものくらいで会場にいた大部分は、無秩序の中にある秩序を楽しむというか、そんな強烈な雰囲気でしたねぇ。
私たちと同じように遠方からで1回しか行けないという方は、行きたいパビリオンを数個と「はえ~派手な建物あるんか!見るか!」ぐらいのハードルで行きましょう。
はちゃめちゃに派手でめちゃめちゃ面白い建物が、とにかくいっぱい見られます!
行く前にやっておいた方がいいこと
予約は命!
今回の万博は事前予約が超大事。先ほどの必勝術で言う「大目標」は、予約で固めておくと安心です。 私は、イタリア館をイタリア公式アプリの先着予約で、ウィーン少年合唱団を抽選予約で奇跡的にゲットできてどうにか達成していました。
天気対策は万全に!
雨なら人が減るけどずぶ濡れで大変、晴れなら暑さと日差しでやっぱり大変。結局は運ですが、絶対に事前チェックは必須!会場が都心から離れた海沿い埋め立て地なので風が強いのでそれの対策も必要かも。大屋根リングの上とか特に。
ちなみに我々沖縄勢は、大阪の気温と湿度からの体感がさっぱり予想がつかず…。結局、上に羽織るものを用意しておくのがベストな気候でした。
交通手段は事前確保!
沖縄勢なので電車は不慣れ。巨大な駅や乗り換えで迷うのは必至。そこで頼ったのは…行きも帰りもシャトルバス! 事前決済できるシャトルバス一本で会場と最寄り駅までスムーズ往復!これが最適解でした。
ただ帰りはタクシーにして、もう少し会場に残っても良かったかも?でも、体力を使い果たすのも考えものだし、セーブも大事ですよね。
もちろん慣れてる人なら地下鉄の方が運行もスムーズで安いですしそっちで問題ないかと。
大目標、見事クリア!
1. イタリア館
イタリア館は、私が一番見たかったんです!バチカン館のマスコット「ルーチェちゃん」発表の時に調べて、本物の石像や絵画が来る! って知ってテンション爆上げでした。
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今回は私が両親を誘った形だったので二人とも特に希望はなかったんですが、万博へ行く直前にBSで「天正遣欧少年使節」の番組を見た母が、伊藤マンショの肖像画を見たい! と俄然やる気に!当日も「これか〜!」と大感激してくれて、うおー親孝行成功!
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2. ウィーン少年合唱団
事前予約で奇跡的に当たったウィーン少年合唱団のコンサート!(撮影&録音禁止で写真無し)
万博ぴあで初めて知って申し込んではいたものの「会場がウィーン少年合唱団ブランドの大きさに対して小さすぎ問題」って話題になってたほどで激戦必至。それを3人1組で通ったんだからよう当てたよ本当。
私は「見れたらラッキーかな~」程度の認識だったんですが、これが父がめちゃめちゃ感動!
今年はウィーン少年合唱団の来日70周年(初来日1955年)というメモリアルイヤー、子供の頃からテレビで知ってた「別世界の存在」を生で見られ、「天使の歌声」を全身で体感できたことが、父にとっては本当に衝撃的だったみたい。
帰りのバスでもずっとその話で、これが一番の思い出になった様子。うおーこれも親孝行!
大目標クリア後は…会場をぶらり楽しむ!
というわけで、大目標2つを無事クリア!あとは、当日予約はどこも埋まって取れず、ミャクミャクくじも90分待ちで断念…。 でも色んなパビリオンの建物を見て回るだけでも、めちゃくちゃ面白かったです!
「コロンビア館だ、コロンビアってそういえばどこ……南米!」みたいな会話を延々と繰り返してました。
大屋根リングは実物を見る価値あり! シャトルバスから見た時点で「デカっ!」と思い、間近で見ると「ようこれを作ったな~」と圧倒されます。ぜひ実物を見てほしい!
あと、会場を歩く遠足や修学旅行の子どもたちの元気さも良かったですねぇ。
大屋根リングの下でレジャーシート広げてお弁当食べたり、上から「ヤッホー!」って叫んで、下の大人たちが「やっほー!」って返して盛り上がってたり。ほんわかいい光景でした。
ご飯は、パビリオン内のストア、大屋根リング外のフードコート、フードトラックなど、いろんなところで売ってるので「食べるものがない!」ってことはなさそうです。 …とはいえ、私たちが行った時はファミマもセブンイレブンも入店制限する混雑ぶり。今後これ以上増えて20万人とか行っちゃったらどうなってしまうんでしょう…!?
無料給水所は長蛇の列だったので、横の自販機で素直に水を買うのが吉。普通の自販機価格でした!万博限定の桃味ペプシコーラを飲みましょう。
あとは……お土産!午後5時時点でお土産屋さんが超めっちゃとんでもない行列になってて、入店するだけでもすさまじかったです!
クッキー缶とかのお菓子類は豊富な在庫がありましたが、限定ぬいぐるみなどの大きめグッズは売り切れちゃってるのもありました。ぬいぐるみ関連が欲しいなら早いうちに行って会場をミャクミャクと一緒に回るくらいは考えておいても良いかも。
両親の思い出:前回の大阪万博1970
そういえば両親が言ってたんですが、前回の1970年大阪万博の時、沖縄(当時は復帰前)から、上級生2人と引率の先生が学校代表として行ったんだとか。帰ってきてから、体育館か公民館で撮ってきた8mmフィルムの映像を見せてもらったそうです。
これが万博協会の招待だったのか、琉球政府や地元自治体、学校の事業だったのかは覚えてないそうですが、「子どもたちに未来を見せてあげたい!」って誰かが思ったんでしょうね。沖縄では5年後の海洋博も控えていたので、その機運を高める意味もあったのかも?
当時は復帰前で本土に行くのにパスポートが必要、移動は船が基本。大変な中で行ったんだなぁ…。両親の記憶では「全体は覚えてないけど、太陽の塔を遠くからや下から見上げる映像は見た」とのこと。
当時の映像例: 【FILMS】EXPO大阪万国博覧会’70 – 沖縄アーカイブ研究所
ちなみに調べてみると、1970年の大阪万博会期中に琉球政府の屋良朝苗主席らが万博会場を見学、沖縄経済振興の一環として海洋博の沖縄開催を強く意識し始めていたみたいです。開催期間中にこの熱の入れようですから、学校代表生徒の万博訪問は琉球政府の事業だったのかな?
当時の新聞を調べたら、学校で万博の映像を見る子供たちの記事とか出てきそうですね。
1969年11月の日米共同声明により、沖縄の日本復帰が決まると、年が明けた70年早々には、琉球政府の屋良朝苗行政主席自らが率先し、軍雇用者離職後の職場開拓、地域・経済開発の観点から、本土企業誘致に向けて精力的に動きだす。(中略) 3月には大阪に入りし、万博会場を見学。屋良メモ[2]には、「世界人類の遊園地」「人類のお祭り」と評する文言が残っている。(中略)8月に入ると、地元沖縄でも、海洋博の沖縄開催への期待がふくらみ、主席上京の折、琉球政府として誘致要請するよう陳情が行われ、14日の屋良日誌には、これを「ひき受けた」ことが記されている。
まとめ:また行きたいぞ大阪関西万博2025!
とにかく、めちゃくちゃ楽しかったです!会期中に、もし許されるならもう1回行きたい! 1回行ったからこそ、次は別の楽しみ方をしてみたい!って気持ちが湧いてきます。なぜなら私の中の万博は大目標をクリア済みで既に100%成功しているので!
親と前回の万博の話ができたのも新鮮だし、イタリア館で母と盛り上がれたし、ウィーン少年合唱団に感動する父もいたのも最高でした。よかったよかった。
…とはいえもう一回行くにはホテル代や飛行機代がすっごいからまず無理~! 皆さん、万博に行ったらぜひレポートを見せてください!私を満足させて~!
大目標1個をクリアするつもりで行くと、きっと楽しいですよ、大阪関西万博!
近場の方なら、何度もリピートして深掘りするともっと楽しめるはず!ぜひ!
最後に、3年前のまだ何にも無かったころから変わらぬ笑顔で、全力で踊ってるミャクミャクを添えて。なんかここからの彼の頑張りが報われた今に見えて来て感動で泣いちゃうところあります。